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「最期」から考える本当にいいくらしとは?~『実りの秋』を迎えるためにしていること~ vol.05 2017.12.27 くらしの声 「最期」から考える本当にいいくらしとは?
~『実りの秋』を迎えるためにしていること~ vol.05

「高齢者にとってのいい暮らし」を支えるための、「人生最期」に対する考え方。これが、一般の高齢者福祉施設とはどこか違う、柔らかくあたたかい空気を色づけていました。

CHAPTER:05 「最期」から考える本当にいいくらしとは?

きらくえん理事長・土谷千津子さん(右)と久木田 啓さん(左)

高齢者にとっての「豊かな住まい」とは何でしょうか?

土谷さん:「これが入居者にとっての最期だったら?」と考えています。「一瞬一瞬が二度と戻ってこない時間」ということを意識していますね。「○○が食べたい。誰々に会ってみたい。」を出来る限り実現していく。料理を出すときも、「これが本当に最期だとすると、どんなお食事を召し上がられたいか?」と考え、あたたかいものはあたたかく提供する、美味しそうに盛り付けをする。その方に合わせて適量をお出しする。その人の大切にしたいことを私たちが損なわずに、環境を整えたりさせていただいたりしています。

年を重ねると活動範囲が狭まっていくことがあると思いますが、ここは何をしても構わない場所なので自己肯定感が持てます。先日、手慣れた餅つきを披露された入居者に、ご家族がびっくりされたことがありました。お家ではじっくり見守ったり待ったりすることが難しいことも、ここでは自分で「できること」の可能性が広がるというような。そんな豊かさがあると思うのです。

ヒノキ風呂は、身体の不自由な方にも、安心して入浴できるように、さまざまな医療介護器具が備え付けられている。

久木田さん:毎回思うのですが、きらくえんには「貢献感」があります。手伝ったり、感謝したりすることが日常にあり、「ありがとう」の声が掛けられています。その言葉掛けが「私ここにいても良いんだ」と言う日常的な貢献感になる。それが積み重なって穏やかな空間が広がっていて、さらにその貢献感が、「次の人に渡したい」「何かしたくなる」という雰囲気を作り出している。

土谷さん:そうですね。私たち若者は年配の方の知恵を受け取って、次の世代として受け取っている気がします。

久木田さん:以前、亡くなれた方のお別れの会をお見かけしたことがあります。皆さんお見送りをされる表情がとても穏やかなのです。その様子にはとても驚きました。 死ぬということが不安ではなく、自分も同じ様に穏やかに見送られるのだという安心感につながる。土谷さんがおっしゃった「次の世代に受け渡している」、つまり「バトンを渡している」という日常を強く感じます。

土谷さん:亡くなられた方の親御さんが、「スタッフ・入居者に見守られ、無事目的地に着陸できました」とおっしゃっていました。死から次の世代に継がれていくもの、生み出されるものがあるのではと思います。それを目でも肌でも感じますし、例えば入居者のご遺族の家族が集まられるOB会がずっと続いていますね。「あの人はこうだったね」と言える場所がたくさんある。それが続いていくのが、豊かだなと思います。

亡くなった方の話を、隠さず自然と共有できる場があるのはいいですね。

土谷さん:実際老いていくと、体は不自由になるし、物忘れが増え、それだけで不安感・喪失感が大きいと思います。でも、身体が動かなくてもできることはあると思うんです。とある入居者が、「人の世話になるなら長生きしたくない」とおっしゃっていて。しかし、懸命に生き最期を迎えられた入居者を見て、「今を一生懸命生きることが若者の教えになる」「家族のためになるんだ」と、考えを変えられたのです。「いま生きる意味」を見つけられたんですね。生きざまを見ることでいただけるものって大きい。老いって決してネガティブじゃないですね。

といいますと?

久木田さん:人の心に対して、人がぬくもりある手を伸ばす。それが一番大切だということを、ここ数十年、忘れていたところがあるのではないかと。文明に置き換わるほうがいい。便利、速い方がいいとか。それを、いまの時代に改めて問い直すことにより、「幸福とは何か」を再確認できると思うのです。実際に人と交わりながら、幸福とは何だろうと常に考え、実際行動で紡いでいけることに「福祉とは最先端」ということを感じます。

土谷さん:あるエピソードを紹介しますね。Nさんという女性がいらっしゃいます。きらくえんが運営する、『あしや喜楽苑』に入居されていた方です。もともとピアニストで、有名オペラ歌手の伴奏や、音楽大学の教授をされるなど活躍されていました。
ご入居当初は、脳梗塞で半身麻痺になられ、片手が動かない。また認知症があり、ご家族の顔も忘れている状態でした。
人生を聞かれた音楽療法士が、きっと心身の回復につながるだろうと考え「ピアノ弾かないんですか?」とご本人にお聞きしました。Nさんは、何十年もピアノから遠ざかっていたので「楽譜がないから弾けない」と口にされました。それを聞いて、「すぐに楽譜を用意しよう」とはしなかったんですね。
言葉通りではなく、「今は自信がないからそうおっしゃっているのだ」と捉えたのです。自尊心を失わないよう、ピアノに向かえるようになるまで気長に待ちました。時を経て、まずNさんの手のマッサージを始めて、楽譜も探しました。ピアノに徐々に徐々に向かっていかれる中で、ついに「この曲をもう一度弾きたい」と積極的なお声をいただくようになりました。あしや喜楽苑に視察に来られる方のために、歓迎の演奏をされるように。また、ホールでコンサートも行いました。ドレスを身にまとい、音楽療法士と2人で片手ずつ渾身の演奏をされました。私はそれを見て泣いてしまいました。95歳のピアニストに、会場からも拍手喝采でした。

ご家族からも「母の最後の輝ける時間を見て、私たちの時間も変わった」とご家族が手紙をくださったんですね。

久木田さん:とても素晴らしいお話です。鳥肌がたちます。

土谷さん:私たちが「認知症だからできない…」と考えると、可能性は狭まってしまう。高齢期は、人生における冬枯れの季節でなく、「実りの秋」であってほしいと思います。前理事長も言っていましたが、「人生の完成期」なんですね。

  • 高齢期は、人生における
    冬枯れの季節でなく、
    「実りの秋」であってほしい

希望に満ちたお話ですね。一般の高齢者福祉施設にあるような「冬のイメージ」を感じないと思った理由が分かり、納得しました。むしろ、優しく穏やかなオーラに包まれている感じもします。

土谷さん:それは、ここが「地域に開かれている」という理由はあるかもしれないですね。その一つとして、地域交流の場である「青空市」の存在が大きいかもしれません。

それでは次回、「青空市」について詳しくお聞かせいただきます。